設立経緯

2013年10月27日日曜日。単身赴任先のガーナで多月裕也はサーフィンの最中、波にのまれて心肺停止状態になりました。

 

同行の日本人の友人たちが水をはかせたり胸骨圧迫による心肺蘇生を行いながら、車で5分ほどの病院に搬送しましたが、その病院には心肺蘇生に必要な機器も注射薬剤もなく、何の治療も受けられず死亡しました。

 

30歳でした。

 

 

同年12月に裕也の遺品整理にガーナを訪れた遺族はその現実を知り、強い憤りを感じると共にガーナの医療の実情に驚きました。

ガーナでは感染症対策や周産期医療には取り組まれていますが、救命救急医療に関してほとんど手つかずの状態だったのです。

 

突然訪れる死を、抗うことなく静かに受け入れる、という思想があるようで、愕然としました。また、その病院(アメリカのNGOが運営)には学校が併設されており、約700人の子どもたちが学び、その内約200人が孤児だ、ということを知り、ガーナは死がとても身近にあるのだ、と感じました。

 

 代表 多月 緑
代表 多月 緑

そして、ガーナに住む人は、裕也と同じ突然死の危険に晒されていると、裕也の母はガーナにAEDを贈る活動を始める決心をしました。

 

友人たちの協力を得、2014年5月に任意団体としてHIROYA基金を立ち上げ、11月に第1回クラフトショップ・エティセを開催し、基金への協力を呼びかけました。地元の金融機関東濃信用金庫「とうしん地域活力研究所」の協力を得て、翌2015年3月19日に法人格を取得しました。

 

集まった寄付金により1台目のAEDを購入し、理事2人がガーナを訪問して寄贈しました。